ブログ
他国の偵察気球が漂う現在の日本上空は無法地帯である
2022年から今年にかけて、既に40発以上もの核搭載可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)が北朝鮮から発射されている。ミサイルは日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したのみでなく、一部は領土上空を通過しJアラートが作動する領空侵犯が起きている。北朝鮮から発射後8分、Jアラート作動後わずか2分で国土に着弾する弾道ミサイルを地上から撃墜する地対空ミサイル防衛システムの配備は十分でない。その度ごとに、「北朝鮮に対して強い言葉で抗議した」と政府コメントが発表されるが、具体的な外交対話の実施は全くない。一方では2019年以降、外国の気球が日本の領空に繰り返し侵入してきたにも関わらず、2月4日に米軍が空域侵犯した偵察気球を撃墜し回収したことを受けようやく動き出す鈍さで、日本政府は自衛隊法84条のもと気球を撃墜すべきか否かについて国会を開くも自分達では結論を出せない。気球には警告を聞く耳も人権も感情もなく、即刻撃墜しない理由は一体何処にあるのか。それこそもし、中国がロシアに輸出しウクライナ上空を飛び交っている無人ドローンが突如日本の上空に現れたらどうするつもりか。これとてもはや時間の問題である。中国から米国に偵察気球が辿り着くまでに、気球は悠々と日本、アラスカ、カナダ、そして米国本土の上空を移動して軍事拠点や気候など様々な情報を収集していた。各国のレーダー網を堂々と空から潜り抜け、情報を分析し戦略データ化する中国の偵察気球は、習近平国家主席が推し進める「軍民連携」のレベルの高さを広く世界に知らしめる結果となった。
決断に迫られる事態が起きた時、政府の危機管理能力を信頼できないなら、こうした議論は国民全体を巻き込んで今直ぐ始めるべきである。大切な事は平和ボケした立ち位置から討議するのでなく、より悪いシナリオを想定して議論を展開することである。かつて1970年代の日本では、よど号事件、ダッカ、ドバイ日航機など航空機のハイジャック事件が多発していた。また冷戦最中の1976年にはロシアの最新鋭戦闘機であるミグ25が函館空港に強硬着陸した亡命事件もある。最悪の事態を想定した思考実験ではあるが、「もし都市上空にハイジャック機が現れ地上目掛けて自爆を目論み大惨事を起こす危険性があるなら、少しでも被害を抑えるため罪のない無辜の乗客もろとも上空で撃墜するべきか否か」、こんな議論を真剣に国民全体で交わした国がある。国会法案として可決、そして否決された経緯をもつ『ドイツハイジャック機撃墜法』である。
ドイツハイジャック機撃墜法は、2005年9月にハイジャック機を空軍が撃墜することを認めたドイツの航空安全法である。この法案の可決は国境を越えて世界を巻き込む議論となり、施行から僅か半年後の2006年2月に違憲判断されているが、こうした議論をした経緯のあるドイツ国民のテロ対策に対する意識の高さに、日本の世論は足元にも及ばない。ドイツはこの法案を闇雲に制定し、そして撤回したわけではない。1972年のミュンヘンハイジャック事件をはじめ、東西冷戦期から重大な航空交通テロ事案に直面した歴史があっての学びの議論である。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が記憶に残るように、空からの侵犯や攻撃がいかに危険であるか、いかに大きな被害をもたらすかといったことは火を見るよりも明らかである。間もなく1年になるロシアのウクライナ侵略戦争をみても、日本国内で隣国ロシアを脅威と考える世論が炎上しない様を、私は理解に苦しむ。
確かにドイツハイジャック機撃墜法は、大きな問題のある法律であった。そしてまた、それゆえに国家はおろか世界的な議論を巻き込む仮定の問題となった。しかしながら、数多くの航空機に搭乗する旅客の人権と、ハイジャック犯人の人権を同様であるとして扱うのか否か、ハイジャックされた航空機が市民の暮らす都市にテロとして故意に墜落する前に未然に撃墜した場合の責任の所在はどこにあるのか、その判断基準を明確にすることは21世紀の哲学では解決出来ない。
政府が国家防衛の議論を深める時にけして忘れてならないのは、日本政府の責任義務は日本国民の命を守ることである。現状、諭して改善するはずもない偵察気球が自由気ままに漂える日本の航空交通は、残念ながら地政学的に無法地帯であると言わざるをえない。
【参考文献・URL】
北朝鮮による弾道ミサイル発射についての会見
https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2023/20bura.html (首相官邸HP 2023/02/20)
米軍撃墜した中国の気球から「重要な残骸」回収 https://www.bbc.com/japanese/64621217 (BBC News Japan 2023/02/14)
「ハイジャック機撃墜法」の違憲判決 2006年2月20日」 http://www.asaho.com/jpn/bkno/2006/0220.html
最新ブログ
アーカイブ
- 2024年8月 (1)
- 2024年3月 (1)
- 2024年2月 (1)
- 2023年11月 (1)
- 2023年10月 (2)
- 2023年9月 (1)
- 2023年6月 (2)
- 2023年5月 (2)
- 2023年4月 (1)
- 2023年3月 (4)
- 2023年2月 (4)
- 2023年1月 (2)
- 2022年12月 (4)
- 2022年11月 (2)
- 2022年10月 (5)
- 2022年9月 (4)
- 2022年8月 (4)
- 2022年7月 (5)
- 2022年6月 (2)
- 2022年5月 (3)
- 2022年4月 (4)
- 2022年3月 (9)
- 2022年2月 (4)
- 2022年1月 (4)
- 2021年12月 (7)
- 2021年11月 (11)
- 2021年10月 (12)
- 2021年9月 (8)
- 2021年8月 (4)
- 2021年7月 (3)
- 2021年6月 (4)
- 2021年5月 (6)
- 2021年4月 (8)
- 2021年3月 (8)
- 2021年2月 (5)
- 2021年1月 (7)
- 2020年12月 (1)