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ブログ (社会課題)2021.11.10

ヒューマン・エンハンスメントが生む未来の人間間格差

 2018年11月28日、中国・南方科技大学の科学者、賀建奎氏が香港大学で開催されたヒトゲノム編集国際会議で世界を驚嘆させる発言をした。世界初となる「ゲノム編集を施した双子の赤ちゃんを創り出した」と述べた本人は、HIVウイルスに感染しないよう受精卵の遺伝情報をクリスパー技術により書き換えたと正当性を主張した。ルルとナナと名付けられた双子の女児の父親はHIV感染者であり、HIV陰性の母親とともにゲノム編集でHIVウイルスに罹患しない子どもを授かる希望を賀建奎氏に託したと言う。


 公の場で衝撃の研究が発表されてから3年の月日が流れた。かつては試験管ベビーと言われた人工妊娠・生殖補助医療も、今や医療補助制度が確立して一定の指針のもと数多くの施設で実施されている。ダウン症候群、18トリソミー、無脳症、脊柱管閉鎖不全などを出生前診断するクワトロマーカーテストも国内外で定常化した。そして今日、様々な病気の遺伝を阻止するため遺伝子治療を施す時代が訪れつつある。医療現場の内側から実社会を見つめると、医学の進歩は社会一般の感覚より相当早いことを認識する場面に度々遭遇する。しかし成熟過程にある人の胚や受精卵にゲノム編集を施す技術が、国際的な倫理的規範から逸脱した行為である点は揺るいでいない。もし研究者がこれを犯したならば厳しい批判に処されるだけでなく、法的にも厳重な処罰を科せられる。しかしGoogleがインターネットで世界を征服し、世界中の誰もが様々な生物種族の遺伝情報にアクセスすることが可能となった現代、遺伝子操作技術と十分な装置さえ手に入れば、世界中どこの研究施設でも第2の賀建奎氏が誕生する可能性がありうる。今現在も何処かの研究所で秘密裏に、更なる人間のゲノム実験が繰り返されている可能性はいくらでもあるのだ。元来は人類の恩恵を願い開発された遺伝子医療技術であったはずだが、飛躍的な進歩を遂げる過程の中で賀建奎氏のゲノム編集問題が発覚した。この事件は人間の生命の尊厳を考える上で、極めて危険性の高い技術的応用を犯してしまった典型な事件といえるだろう。

 未来のイノベーションに纏わる倫理的問題は、いつ何時知らぬ間に事態が急展開してしまうかもしれない。従って、常日頃から事件が起こる前に国家レベルで十分な議論をしておくことが肝要になる。


 「ヒューマン・エンハンスメント」という概念をご存知だろうか。元来、人々の健康や疾病の治療を目的とした医療がその目的を超越し、生物種である人間に対して遺伝子工学という医学の進歩を利用して、人の身体における運動能力・知的能力・精神力などの増強を図ることである。遺伝子工学技術を用いた人体や動植物のドーピングと言えばより理解しやすいかもしれないが、この用語は倫理的・社会的側面から人体への遺伝子操作考える際にしばしば用いられる概念である。ヒューマン・エンハンスメントに倫理的規制を設ける議論がなぜ必要になるのか。最先端の生命科学遺伝子工学技術を制したほんの一部の者だけが、その技術を自由に利用するとしたら、医療においてその特権から一体どんな事態が引き起こされるのだろうか。


 例えば、映画『ジェラシック・パーク』のごとく、自分の好きな歴史上の著名人やハリウッド・スターの髪の毛を拾い、それをもとに遺伝子配列を再現し、デザイナーベビーはおろか、その人物の人造クローン人間を再生する。レズビアンの女性2人から両方の血を引く子供を遺伝子工学技術により人工的に作り上げて、男女を産み分け女児を授かる。不治の病で亡くなった子供の細胞や精子を培養し、母親との間にクローン技術を利用し、亡くなった児と同じ遺伝子配列をもった次子を作り出す。さらに後に再びその子がなくなったときのために、母親は彼の精子を精子バンクに永久凍結しておく。ノーベル文学賞作家であるカズオ・イシグロのSF『わたしを離さないで』の世界観のような臓器移植ドナーとなることを目的に作られたクローン人間の社会を人間社会の下層に企てる。果ては地球環境破壊が進み人類が地球で生存することが困難となった近未来、一部のゲノム編集技術を有する集団だけが人間間格差を優位に宇宙環境に適する人体改造を試み、多くの人々を地球に置き去りにして地球外脱出を目論む。性善説、性悪説どちらを起点に考えるにしても、未来人の様々なシュミレーションを思考実験するうちに、人類が最先端の生命科学技術を手に入れあらゆる欲望を可能にした暁に、どんな型破りな欲望を主張するのか。その実態が現代の私たちの想像力を遥かに超越する内容であろうことは、容易に想像できる。


 1996年、スコットランドのロスリン研究所で乳腺由来体細胞を、核を除いた胚細胞に移植したクローン技術により誕生した羊「ドリー」の実話から25年が過ぎたが、今日でも人間と遺伝子工学技術の在り方に関する社会的・倫理的な議論が未だ絶えることはない。一体、人の権利や主張とは、どこまでが正当性をもって許されるべきものであり、どこからが違法性をもって処罰されるべきものなのだろうか。未来におけるヒューマン・エンハンスメントの倫理規定を考える上で、人類は変わりゆく地球環境を模索しながら、どのような生存学を提唱すればよいのだろうか。進化し続ける遺伝子工学や生命科学技術を横目に「それは神の領域であり、手をつけてはいけないものである」と端的に言い切ってしまうには時既に遅しである。こうした議論は、科学者、政治家、社会学者、歴史家、そして哲学者だけで論考する問題ではない。我々は答えを出しにくい、実社会で線引きが難しい問題を、国民レベルで正面から議論することをけして放棄してはならない。




「世界初のゲノム編集赤ちゃん」の政党制主張 BBCニュースJAPAN 2018年11月2日 https://www.bbc.com/japanese/46381383

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