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民間人が宇宙空間を旅する時代はまだまだ遠い
国立研究開発法人である宇宙航空研究開発機構(JAXA )は、2021年12月20日から日本人宇宙飛行士の募集を開始する。1992年9月に毛利衛氏が初めてJAXA宇宙飛行士としてスペースシャトルで宇宙に飛び立ち、その後20年余で計7名の日本人宇宙飛行士が誕生した。2019 年10月に内閣総理大臣を本部長とする宇宙開発戦略本部が、国際宇宙ステーション(ISS)で予定される数々の宇宙探査に日本の参画を閣議決定した。それから2年を経て、JAXAとして13年ぶりの募集となった。極めて限られたエリートしか応募資格のなかった過去の要項と比べると、この度の応募条件は実に簡潔である。その条件は、3年以上の実務経験、身長149.5-190.5㎝、両眼矯正視力1.0以上、色覚正常、聴力正常と記されている。応募枠を広げた理由は、老いも若きも、男も女もそうでない人も、理系も文系も芸術系も体育会系も含めて、とにかく多様な人材から最適な候補者を発掘するためである。ただし募集条件が緩和されても、その難易度が現日本で最も狭き門の類いであることは間違いない。選考過程で候補者は、小山宙哉原作の『宇宙兄弟』にも勝る五段階の過酷な試験を課せられ、最終的に一握りの賢者が宇宙飛行士候補生として採用される。採用後も数々の関門を突破する必要があり、無事に全ての条件をクリアして初めて宇宙飛行士となる。将来的な活躍の場として、政府はISSのみでなく月面活動を見込んでいる。
JAXA宇宙飛行士の応募倍率が何桁になるか定かでないが、宇宙に行くことを希望すれば実現可能な民間人向けの特別ルートもある。JAXAが職業宇宙飛行士を募集する最中、12月8日には実業家の前澤友作氏がカメラマンを務める平野陽三氏とロシア宇宙機関ロスコモスのソユース宇宙船に搭乗し、カザフスタンからISSに飛び立った。前澤氏の宇宙の旅は宇宙観光で、全12日間の旅程表にプロジェクトとして行われる任務や実験はない。千葉県出身の前澤氏は自前のiPhoneで宇宙から見た房総半島を撮りSNSにアップしたり、自身の宇宙船の様子を同乗のカメラマンに撮影させYoutube配信するなど、史上最高額の観光旅行に満悦な様子である。前澤氏の支払う諸費用明細は明かされていないが、お供のカメラマンの代金を含めて少なくとも135億円以上と見積もられている。もちろん職業実業家である前澤氏の事業戦略は、代金以上の宣伝効果と興行収益を見込んでいるらしい。
米ドル換算でおよそ1億2,000万USDになるこの度のチケット代金がどれほどの価値を生み出すものか。その真意は帰国後の前澤氏の発言や振る舞いに左右されるだろう。これほどの予算があれば、例えば何が可能になるのだろうか。前澤氏のチケット代は、地球温暖化による海面上昇で沈む国と全世界から支援が差し伸べられている南太平洋「ツバル」の年間国内総生産(GDP)の約2.2倍の額である。ファイザー社製の新型コロナウイルスワクチンなら680万回分以上に相当し、例えばブルガリア、デンマーク、香港、フィンランド等の規模の国家であれば、全国民にワクチン接種を行き渡らせることが可能な額である。
コロナ禍の2021年、世界はかつてない貧富の格差に苦しめられている。その原因は世界中の富の配分の不公平にある。貧困撲滅を目的に多角的な活動を続ける国際NGOオックスファームは、2017年に世界で最も裕福な8人の大富豪の総資産額が、地球上の全資産の50%を占めた衝撃のレポートを報告した。富の集中は個人だけではない。世界の大手企業10社の年間収益の合計額は、下位180の国々の総GDP以上を占めている。さらにGDP上位4か国である米国、中国、日本、ドイツの年間総生産額の合計は、5位イギリスから最下位のツバルを併せた187カ国の合計GDP額を超えている。
地球上の様々な問題点を解決するために世界は経済成長ありきの再生戦略を打ち出しているが、大富豪や大企業や大きな力を持った国家に偏在する富の再分配について、誰一人メスを入れることが出来ていない。ならば目指すべきは脱・成長戦略ではないだろうか。社会経済の基礎原理である最大多数の最大幸福のために成功者が自らの悦びを手放すことがどれほど難しい決断なのか、凡人には知る由もない。しかし、もし前澤氏が全財産の7%と推測されるこの度の観光チケットと同等の金額を世界保健機関(WHO)に無償寄付したならば、自らの成功を惜しみなく社会福利に還元した功利主義の実践者として、氏の名声と功績は世界を轟かすであろう。
過去の宇宙飛行士の先例をみると、幾多の困難を乗り越えに宇宙へ飛び立ち、過酷な任務を完了して地球に帰還した宇宙飛行士は、その後自らの人生観を根底から問い直すようになり、180度違った人生価値を歩むオーバービュー・エフェクト(=概観効果)を経験するという。宇宙空間から早々に「偉人が言うように地球は確かに青かった。スキップは難しい。サスティナブルな暮らし方を考えるタイミングとなる」等、興味あるコメントを続々と発する前澤氏のビジネスに、今後新たな価値変化が訪れるか否かは実に気になるところだ。1903年の12月17日にノースカロライナのキルデビルヒルズの砂丘でライト兄弟が世界初の有人飛行を成し遂げて以降、空から地上を見下ろす飛行経験は人類の距離と移動の概念に変革をもたらした。民間宇宙旅行がビジネスとして成立するなら、今後も続々と宇宙旅行チケットを買い求める大富豪やビリオネラーが世界各地から現れるのだろう。私は実現可能な富とチャンスがある人物には、ぜひ宇宙旅行に挑戦していただきたいと願っている。そして何より、その潤沢な富を公平に分配してくれることを願う。宇宙飛行経験者が増えるとともに、人と宇宙が身近になることは間違いない。しかし、それ以上に数多くのビリオネラーが宇宙に向かうことで、人類と宇宙と地球環境の関係性に、全人的革新が訪れるかもしれないと期待するからだ。
所変わって米国では、10月13日にユニークな民間人宇宙飛行士が誕生した。ギネス認定、御年90歳で世界最高齢の宇宙飛行士となった人物は、俳優のウイリアム・シャトナー氏である。この名に見覚えの方も多いのではないだろうか。実はシャトナー氏、1966年にイギリスで制作されたSFムービー『スター・トレック 宇宙大作戦』で、飛行船の司令官であるジェームズ・T・カーク船長役を長年演じてきた正真正銘の御本人である。人生の長い期間を宇宙船の撮影セットで過ごしたシャトナー氏は、Amazonの創始者であるジェフ・ベソス率いるスペースベンチャー企業、ブルーオリジン社の宇宙船ニューシェパード号に搭乗し、3分間の無重力空間を含む11分間の宇宙旅行を体験した。前澤氏の12日間の旅程と比べて僅か11分の宇宙旅行であったが、パラシュートで地球に帰還したシャトナー氏は、「最高に奥深い体験ができた。胸がいっぱいになっている。この状態から回復したくない。今の感覚をずっと持ち続けたい」と語った。90年の人生を経て宇宙を経験したシャトナー氏のコメントこそ、まさにオーバービュー・エフェクトの骨頂だろう。
スペースベンチャー企業が仕掛ける民間宇宙旅行の時代を迎え、私達の未来の夢は無限に広がる。しかし残念ながら海外旅行のように宇宙空間を旅する時代はまだまだ遠く先である。幸いなことは、宇宙旅行がどんなものか想像を巡らせながら宇宙飛行士のコメントを楽めるチャンスがまだしばらくの間は残されていることだ。この度JAXAが応募を募る宇宙飛行士候補者に、もし哲学者や倫理学者、さらには芸術家や詩人や大物政治家が選考されたなら…オーバービュー・エフェクトを体験するであろう人物が宇宙空間から私達にどの様なメッセージを発信してくれるかと思うと、選考過程や道中の心境の変化やコメントが今からとても楽しみである。
2021年度宇宙飛行士候補者 募集要項 (JAXA) https://astro-mission.jaxa.jp/astro_selection/item/Application.pdf
民間人が宇宙へ クローズアップ現代+ 前澤勇作さん”宇宙は本当にあった” (HNK) https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pDvZymlK5D/
「カーク船長」シャトナー氏が90歳で宇宙旅行 「深遠な体験」 (ロイター通信) https://jp.reuters.com/article/space-exploration-blueorigin-idJPKBN2H32HC
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