2022年2月24日、木曜の朝、ロシア軍がウクライナ全土に広範な攻撃を開始し、一晩のうちに少なくともウクライナの首都キエフを含む22の都市と、航空機が発着可能な47の軍事基地が空爆と砲撃を受けた。ロシア軍は空路網を破壊後、間髪を入れず未明には新ロシア派が多いウクライナの東側から、さらに北のベラルーシ側と南のクリミア半島側から、無数の戦車で国境を越えて侵攻し、地上戦から市街地戦へと突入した。東西冷戦後の世界の安全保障秩序を揺るがす全面戦争という由々しき事態は、僅か一夜にして勃発した。ウラジーミル・プーチン大統領は東西両岸の鉄のカーテンの脆さを、いとも簡単に破ったのだ。

　国際的な非難と制裁の波を無視するその攻撃姿勢に、干渉やためらう気配は毛頭ない。この度のロシアの攻撃は、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以来、最大規模、いやそれ以上の軍事行動である。核保有国間の軍事的均衡を基盤とする東西世界のパワーバランスとは一体何だったのか。核兵器を軸に長い月日をかけて世界が対話し取り組んできた軍事的平和は、プーチン氏の前では全くの砂の虚像であった。

　この度の攻撃は、プーチン氏がウクライナ東部のドンバス地方にある2つの分離主義地域の独立を承認した直後に開始された。プーチン氏はテレビ演説で、この度の攻撃をウクライナの非武装化と、地域の人々とロシアを守るための特別軍事作戦と述べている。対するウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、モスクワと外交関係を断ち戒厳令を発令し、18～60歳の全男性の国外脱出を禁じるとともに武装応戦を指示した。ウクライナ当局は、自国軍は複数の前線でロシア軍と戦っているが、世界最悪の原発事故現場であるチェルノブイリ原子力発電所の制御を失ったことを発表している。

　30余りの国々が加盟する米国主導の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)にウクライナが加入の意思を示したことに対し、NATO軍がさらに東方へ勢力拡大を狙うことを懸念して激高したプーチン氏だが、ロシア軍がウクライナ東部の国境付近だけでなく、北のベラルーシ側から侵入して早期にチェルノブイリを占拠した点は、この流れと矛盾する。しかしそこには、ウクライナがチェルノブイリで秘密裏に核開発を進めていたか否かを確かめる別の目的がある。さらにもしチェルノブイリが戦火に陥ると、当然ロシア側には放射能汚染のリスクが高まりかねない。現時点でウクライナが核開発を進めていた機密情報は微塵も無いが、ロシアは情報操作にとても長けた国である。ロシアの操作次第では、ウクライナがチェルノブイリで核開発したことを口実に、ロシアの正当性を巧妙に練られたフェイクニュースをSNSを通じて全世界にアピールする狙いがある。

　即刻、世界各国は足並みをそろえた制裁を講じ、モスクワを孤立させる措置を取り始めた。欧州連合 (EU) は クレムリンの利益と戦争の資金調達能力に大きな打撃を与える制裁を課すとし、NATOのイェンス・ストルテンベルグ総裁は、ロシアが欧州の平和を打ち砕いたと述べている。ドイツは天然ガスのパイプラインを遮断、フランスのエマニュエル・マクロン大統領はプーチン氏と緊急電話会談を行い、今後も継続的に両国の安定的な関係を維持したいと申し入れ、米バイデン大統領は、ロシアのオリガルヒが掌握する金融システムやハイテク部門の金融口座をターゲットに凍結する制裁を発表した。

　一見、ロシアが全世界を敵にしたかに見える構図であるが、ロシアにとってこれら一連の措置は、ウクライナの掌握に比べたら西側諸国のデモンストレーション程度の痛手しかない。来月3月4日～13日に開催される2022北京冬季パラリンピックを横目に眠れる獅子と化した中国の後ろ盾もあり、実はこの程度の金融政策では、ロシアの巨額資産は少しも揺るがないのである。さらに強い金融制裁措置として、世界の主要銀行が加盟するSWIFTネットワークの凍結があるが、ロシアSWIFTコードの凍結は、同時に取引国である西側諸国にも大きな損失を招くため、長期化した場合、ロシアと中国だけが残り、西側諸国が世界恐慌に陥るリスクがある。加えてそもそも先進諸国の多くは、自国のコロナウイルス蔓延防止に追われている。そんな中、今現在世界で最もコロナ感染対策が功を奏している国は、五輪開催中のロシアと手を組む中国である。さらにロシアは既に4種類もの新型コロナウイルスワクチン開発に成功しており、商業的にも2021年から東側諸国に輸出して多額の富を得ている。ロシア製ワクチン「スプートニックV」の驚愕すべき新技術は、多様なコロナウイルスに対して、追加なしの僅か1回の接種で免疫を獲得する予防効果が証明されている点だ。人類史上、国家があるところで戦争が絶えた歴史はない。強いロシアの復権を企てるプーチン氏にとって、今の世界情勢が大いなる好機と判断された理由もあながち頷けなくはない。

　人類がこの100年で最も力を注ぎ、技術面でも飛躍的進歩を遂げた分野があるとすれば、それは医学と軍事科学である。しかし2020年、全世界は0.2μmの目に見えない新型コロナウイルスに太刀打ちできない医学の無力さに翻弄され、2022年、核兵器の相互確証による平和維持が軍事的に無力であることを、我々はこの度のロシア侵攻により思い知った。今、世界中が不安な気持ちでこのロシア対ウクライナの戦争を注視している。そして戦場となったウクライナは全世界に悲痛の助けを求めている。しかしそれにも関わらず米国とNATO加盟国軍は、未だにより大きな戦争のリスクを恐れるからか、ウクライナ本土に軍隊を派遣する気配を見せていない。2020年にSNSで全世界が非難しつつも香港が中国に取り込まれたように、そして2021年には米軍が撤退したアフガニスタンのカブールが僅か数日で陥落したように、我々はただただウクライナがロシアに飲み込まれていく事象を固唾を呑んで見守ることしかできないのだろうか。

24/Feb/2022 CNN: https://www.cnn.co.jp/photo/35184007-41.html